南河原とは

埼玉県の北東部に位置する南河原は面積5.82k㎡、人口4200人程度の稲作農業中心の地域です。産業としては、かつて生産量全国一の地位を築き上げたスリッパ生産をはじめ紙加工、食品製造があります。
(※2006年1月1日に行田市と合併し、現在は行田市南河原)

歴史文化

観福寺の石塔婆(いしとうば)

銅線と木の台。この作品は2008年末に制作しました。

源平争乱で討死した河原太郎高直、次郎忠家兄弟の供養碑と伝わる国指定の板碑。緑泥片岩製で、阿弥陀三尊像や梵字を刻む。

平安時代末期の寿永3年(1184)に行われた源平合戦のひとつ、摂津国生田の森(兵庫県神戸市中央区)の合戦で、平氏方に兄弟二人にて先駆けを行ったが、多勢に無勢で弓の名手として西国で勇名であった備中の国の住人真名辺四郎、五郎兄弟の矢で討死した河原太郎高直・次郎忠家(盛直)の館が、この観福寺付近にあったと伝えられます。
河原氏は武蔵七党私市党の出身とされ、私市則房の子成方は北埼玉郡や大里郡を転々としたのち、北埼玉郡河原村に住むことになり河原権守を称したのが河原氏の始まりとされるようです。

馬見塚橋(まみづかばし)

馬見塚橋は、古くからある橋で、左岸の橋詰には文化4年と安政5年建立の馬頭観音がまつられています。全体が波型をしたユニークな高欄と束柱側面の縞模様と高欄単部の渦巻き模様が施され、平成17年に土木学会により日本の近代土木遺産のひとつに選定されました。

“馬見塚”の由来には、東部の御堂塚付近に馬市が立ち、塚の上から馬の良否を分けたという言い伝えから「馬見塚村」と呼ばれるようになりました。 この付近の河川敷には、絶滅危惧種であるキタミソウが自生しています。

近代土木遺産   

【A ランク】最も重要な土木遺産で、国指定重要文化財に相当. 全国調査から平成 17年、2800件を選定し、馬見塚橋もそのひとつに選ばれました。


現存する重要な土木構造物2800選
http://www.jsce.or.jp/committee/hsce/2800/index2(2800).htm
河原神社

江戸時代初期に建立され、応保元年(1161年)、源義信が武蔵野守として河原郷に住んだ時、以前から信仰する住吉神社の分神として観請したのが始まりといわれています。

武蔵あばれ太鼓(河原兄弟一の谷先陣太鼓)

武蔵あばれ太鼓は、平成元年に南河原地区(旧南河原村)制施行100周年を迎えたのを記念して“文化活動による村おこし”に取り組んでいた「南河原村文化会」によって創作されました。武蔵武士、河原太郎・次郎兄弟の源平合戦一の谷の先陣物語を表現したもので、動あり静ありの合戦絵巻を繰り広げます。曲は、戦後のジャズトランぺッターとして活躍した松本文男氏。合併後は行田市の郷土芸能の一つとして、多方面でパフォーマンスを披露しています。

商工祭祭り

南河原ふれあい祭り

地域のふれあいの場として、地元の特産品の販売や展示、各種催し物や抽選会等を行っています。 催し物では、忍城おもてなし甲冑隊の演舞や地域の子どもたちによるステージパフォーマンス、体験スペースなど、小さなお子様から大人まで楽しめるイベントです。

南河原の自然

キタミソウ

キタミソウは、国内では北海道・九州および本州では埼玉県東部だけで見られる希少な植物です。
また絶滅の危機に瀕している、貴重な種です。南河原の南部、馬見塚地区の星川に群生し、初冬から早春にかけちいさな愛らしい花を咲かせます。

※1997年環境庁、1998年埼玉県のレッドデータ絶滅危惧1A類 :最も絶滅の危機に瀕している種」に記載されています

すずかけの大樹

南河原小学校校庭にある、樹齢80有余年のすずかけ(プラタナス)の木は、地域のみなさまに愛されている南河原のシンボルです。

南河原の産業

スリッパ発祥地

スリッパ発祥の地でもあり、全国でも有数のスリッパの生産地として有名です。丈夫で高品質な手作りスリッパをお届けしています。
お問合せ:埼玉スリッパ組合(TEL : 048-557-0742

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