観福寺の石塔婆(いしばとう)

銅線と木の台。この作品は2008年末に制作しました。

源平争乱で討死した河原太郎高直次郎忠家兄弟の供養碑と伝わる国指定の板碑。緑泥片岩製で、阿弥陀三尊像や梵字を刻む。

平安時代末期の寿永3年(1184)に行われた源平合戦のひとつ、摂津国生田の森(兵庫県神戸市中央区)の合戦で、平氏方に兄弟二人にて先駆けを行ったが、多勢に無勢で弓の名手として西国で勇名であった備中の国の住人真名辺四郎、五郎兄弟の矢で討死した河原太郎高直・次郎忠家(盛直)の館が、この観福寺付近にあったと伝えられます。
河原氏は武蔵七党私市党の出身とされ、私市則房の子成方は北埼玉郡や大里郡を転々としたのち、北埼玉郡河原村に住むことになり河原権守を称したのが河原氏の始まりとされるようです。

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